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広島地方裁判所 昭和46年(ワ)1056号 判決 1974年5月27日

原告

尹富江

右訴訟代理人

橋本保雄

被告

吉村こと

申在壬

右補佐人

李錫雙

主文

被告は、原告に対し、三三三万三、三三三円およびこれに対する昭和四六年一二月二五日以降完済まで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は、原告において一〇〇万円の担保を供することを条件に仮に執行することができる。

事実

一、原告訴訟代理人は、主文第一、二項同旨の判決ならびに仮執行の宣言を求め、次のとおり述べた。

(請求原因)

(一)  原告は、朝鮮民主々義人民共和国の国籍を有し、大韓民国の国籍を有した亡吉村こと李春夫の生前の妻であり、被告は大韓民国の国籍を有し、右春夫の母である。

(二)  右春夫は、訴外萩貨物自動車株式会社所有の貨物自動車の運行による追突事故によつて、昭和四四年一一月四日佐伯郡五日市町青木医院において死亡した。

(三)  右訴外会社は、右事故前右加害自動車について、訴外興亜火災海上保険会社との間で、自賠法に基づく保険金五〇〇万円の責任保険契約を締結していた。

(四)  そして韓国法によれば、妻と母がいる場合の相続分は、妻が三分の二、母が三分の一であるので、右春夫の死亡により原告と被告とは、自賠法第一六条により、右保険金五〇〇万円について、右相続分の割合で、右保険会社に対する請求権を取得した。

(五)  しかるに、被告は、自分のみが春夫の相続人であるとして右保険会社から五〇〇万円全額の保険金を受領し、原告が保険会社から受けるべき右保険金の三分の二の三三三万三、三三三円の請求権を失わしめ、同額の金員を不当に利得した。

(六)  よつて、原告は、被告に対し、右不当利得金三三三万三、三三三円とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和四六年一二月二五日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(抗弁に対する答弁)

原告が、春夫の胎児について中絶したことは認めるが、その余の主張については、別紙記載のとおり、これを争う。

二、被告は請求棄却の判決を求め、次のとおり述べた。

(請求原因に対する答弁)

(一)  請求原因(一)のうち、被告が春夫の母であることは認めるが、原告が亡春夫の妻であつたことは否認する。すなわち、原告は韓国戸籍上、亡春夫の妻として記載されていないので、法律上の婚姻が成立していたものとはいえない。

(二)  同(二)、(三)の各事実は認める。

(三)  同(四)の主張は争う。

(四)  同(五)、(六)のうち、被告が、亡春夫の相続人として自賠法第一六条に基づき、原告主張の保険会社から五〇〇万円の保険金を受領したことは認めるのが、その余の主張は争う。

(仮定抗弁)

原告は、亡春夫の子を懐胎していたが、正当な理由がないのに妊娠中絶してその胎児を殺害したものであるから、韓国民法一〇〇四条に定める欠格事由に該当するので、右春夫の相続人ではない。

三、証拠<略>

理由

一<証拠略>によれば、原、被告は、いずれも外国人であるが、我が国に住所を有するので、本件不当利得金反還請求について、わが国が国際民事裁判管轄権を有することは明らかである。

二亡春夫が、訴外萩貨物自動車株式会社所有の貨物自動車の運行による追突事故によつて、昭和四四年一一月四日、佐伯郡五日市町で死亡したこと、右訴外会社が、訴外興亜火災海上保険会社との間で、右加害自動車について自賠法に基づく保険金五〇〇万円の責任保険契約を締結していたこと、被告が、亡春夫の相続人として右保険会社から、自賠法一六条に基づき右保険金五〇〇万円を受領したことはいずれも当事者間に争いがなく、法例一一条一項によれば、不当利得によつて生ずる債権の成立および効力はその原因たる事実の発生したる地の法律による旨規定されているので、本件不当利得金債権の成否およびその効力については日本法が適用されることとなる。

したがつて、もし原告がその主張どおり亡春夫の相続人であれば、被告の保険金の受領は、原告が相続すべき限度で、不当利得となることは明らかである。

そこで、以下、原告が亡春夫の妻として相続分を有するか否かについて検討する。

三法例二五条によれば、相続の準拠法は被相続人の本国法による旨定められており、亡春夫が韓国籍を有していたことは<証拠略>によつて認められ、<証拠略>によれば、韓国渉外私法上この点に関する反致条項がないことが認められるので、亡春夫の相続人およびその相続分に関しては韓国民法が適用されることとなる。

そして、<証拠略>によれば、韓国民法上戸主でない者の財産相続については、被相続人の直系卑属、直系尊属、兄弟姉妹、八親等以内の傍系血族が右順序で相続人となり、胎児は相続順位に関してはすでに出生したものとみなされ(一〇〇〇条一、三項、九八八条)、被相続人の妻は、直系卑属、直系尊属がいる場合には、その者と同順位で共同相続人となり、これらの者がいないときは単独相続人となり(一〇〇三条)、故意に直系尊属、被相続人、その配偶者又は先順位あるいは同順位にある者を殺害するか、殺害しようとした者は財産相続人となることができない(一〇〇四条)旨規定されていることが認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

また、<証拠略>を総合すれば、亡春夫は戸主ではなく、しかも父李在戌は右春夫の死亡前すでに死亡していたこと、右春夫は、昭和四四年四月九日、韓国の慣習に従つて原告との結婚式を挙げてそれ以来同棲し、同年六月二日広島県佐伯郡五日市町長に対し、証人として訴外姜三鳳および被告が連署したうえ、わが国戸籍法所定の婚姻届を提出してこれが受理されたこと、その後、原告は懐胎し、春夫死亡当時妊娠二か月であつたが、その事実に気付かず、春夫死亡後そのショックから睡眠不足となり、一二月初頃多量の精神安定剤(アトラキシン)を飲みすぎ、嘔吐したので、同月四日内科の治療を受け、その頃ようやく妊娠の事実に気付き、同日産婦人科に転医して治療を受け、その医師から薬物による遺伝性奇型児出産防止という優生上の必要性があるからとすすめられて、その医師による人工妊娠中絶を受けたこと(原告が胎児を妊娠中絶したことは当事者間に争いがない)、以上の事実が認められ、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

ところで、法例八条二項によれば、行為地法によつてなした法律行為の方式は有効とされているので、わが国戸籍法所定の届出によつてなされた原告と春夫間の前記婚姻の方式は有効であり、法例一四条によれば、婚姻の効力は夫の本国法による旨定められ<証拠略>によれば韓国民法八一二条には「婚姻は戸籍法に定められたところにより届出することによつてその効力が生ずる」旨の規定があることが認められるので、原告と亡春夫が前記五日市町長に対する届出によつて両名の婚姻は有効に成立し、したがつて、爾来原告が春夫の配偶者たる身分を取得したことは明らかである。被告は韓国戸籍上妻として記載されなければ婚姻の効力を生じない旨主張するが、そのように解しなければならない法律上の根拠は存在しない。

四被告は、原告が春夫の胎児を妊娠中絶したので韓国民法一〇〇四条により相続人たる資格を有しない旨主張し、同条には被告が主張するような相続の欠格事由が規定されており、原告が春夫の胎児を人工中絶したこと、また胎児が財産相続の順位についても生まれたものとみなされることは前記認定のとおりであるので、原告の胎児が、亡春夫の第一順位の相続人であり、しかも妻たる原告と同順位の相続人たることは明らかである。

したがつて、原告が春夫によつて懐胎された胎児についてこれを知りながら人工妊娠中絶(中絶によつて胎児は生存することはできない)をしたことは、一応右法条にいう「故意に同順位にある者を殺害した者」に当るといわねばならない。しかしながら、同条の規定の趣旨からして、たとえ殺人ないし殺人未遂の定型に当る場合でも、違法性ないし責任性のない場合にまで相続人の欠格事由とするものではないと解すべきである。もし、そうでないとすれば右法条はわが国の公序良俗に反するものであり、法例三〇条により、その適用が排除されるものと解すべきである。

そこで本件妊娠中絶について違法性ないし責任性について検討するに、原告は、前記認定のとおり夫春夫死亡当時妊娠の事実を知らず、その後夫の死亡のショックから睡眠不足となり、多量の精神安定剤を服用し、産婦人科医によつて奇型児出産防止という優生上の必要があるものと診断され、そのすすめによつて中絶手術を受けたのであるから、原告には違法性がないものといわねばならない(優生保護法一四条一項一号参照)。

そうだとすれば、原告は、右妊娠中絶の事実にもかかわらず、相続人としての欠格事由に当らないものといわねばならない。

五したがつて、原告は、韓国民法上、亡春夫の妻として、亡夫の母である被告と共に右春夫の相続人たるべく、<証拠略>によれば、妻と母との相続分は、妻が三分の二、母が三分の一の割合であること(韓国民法一〇〇九条)が認められるので、前記保険会社に対し、妻たる原告は保険金の三分の二、母たる被告はその三分の一の請求権を有することが明らかである。しかるに、被告は、亡春夫の唯一の相続人として保険会社から保険金五〇〇万円全額を受領して、原告が取得すべき右保険金の三分の二の三三三万三、三三三円を不当に利得したことになるので、原告に対し、これが返還債務を有するものといわねばならない。

六よつて、原告の被告に対する右不当利得金三三三万三、三三三円とこれに対する本訴状送達の翌日である昭和四六年一二月二五日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める本訴請求は正当としてこれを認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、担保を条件とする仮執行宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。 (若林昌子)

(抗弁に対する原告の反対主張)

一、被告の言う韓民一〇〇四条第一号の規定は故意に……殺害と言つて居るものであるが、殺すと言う事は人に対して言えることであつて、未だ人になつていないものに対しては言えないと言う意味で、被告の主張は当らない。

二、次に原告は右規定に触れるものではないが、念のために次の事を述べたい。即ち韓民一〇〇四条の規定は、殺人又は殺人未遂の場合の規定であり、犯罪事実の認識を右行為が違法有責の場合に相続権がなくなると言つて居るのであるが、仮に中絶が百歩譲つて形式的に殺害と言えるとしても―決していえないが―母体の健康維持その他優生学的社会学的適応に基づいて医師が避妊手術をすることは優生保護法により許されて居り(甲第七号証によると「主人が交通事故に遇つてショックがひどく鎮静剤を多量にのみ、胎児に悪いと言うようなことを先生にも言われ」)と言う事は正当な行為として違法性を阻却するものであるが、その事は反面、その手術を受ける立場を違法性のない行為、即ち正当行為として許容して居るものであるから原告の行為を以て韓民一〇〇四条一号に牴触しているものとは言えないものであり、被告の主張は当らない。

三、<略>

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